吉田たかおのよしだッシュブログ

京都市会議員 (公明党)・吉田孝雄が日々感じたことを綴ります。

藤原隆家について

2008.02.08 (Fri)
いま、源氏物語千年紀記念事業が展開され、内外から熱い注目を集めています。

2008年がなぜ千年目なのかというと、1008年11月1日付の紫式部の日記に、藤原道長邸での酒宴の席上で当代第一の文化人・藤原公任が紫式部に「このあたりに若紫はいませんか」とジョークをとばした場面が描かれていることから、その当時の貴族社会に「源氏物語」が流布していると推定されているからとのことです。・・・・なるほど。

先日読了した『殴りあう貴族たち―平安朝・裏源氏物語―』(繁田信一著:2005柏書房)という興味深いタイトルの書物にも、そのエピソードが紹介されています。

摂関政治全盛期の酒宴は、優美で上品なイメージがありますが、日記で描写されている雲上人たちの姿は「醜態」とも言えるくらいのバカ騒ぎ。紫式部を追いかけまわして和歌を強要する道長を筆頭に、女性が衣装を何枚重ね着しているかを真剣に数えているオヤジや、女性にまとわりついて離さないセクハラ貴公子。酔っ払い、殴り合い、拉致やリンチを繰り返す、バイオレンスな荒々しい貴族の実態を知り、目からうろこが落ちたような気分です。

私は、道長邸でセクハラを繰り返した当時29歳の権中納言・藤原隆家に、大きな関心を抱きました。タイトル『殴り合う貴族・・・・』の典型的な人物だからです。なにしろ、これより10年以上前に藤原道長と喧嘩して「七条大路の合戦」と言われるような武力衝突を起こし、さらにその翌年には、こともあろうに花山法皇との恋愛のもつれから牛車に矢をかけて恫喝するという前代未聞の不祥事を勃発して処分されているのですから。

文字通り「お上に弓を引く」というこれ以上ない極悪犯罪を犯しておきながらしばらくして復権を果たしている、この隆家という破天荒な人物。実は、道長の兄・道隆の息子にして中宮定子(清少納言の女主人)の弟という貴公子なのですが、父なきあとに権力の絶頂から奈落の底に転落した波瀾万丈の青春を余儀なくされているのです。

道長との苛烈な権力闘争に敗れ、その上に不本意な罪を暴きたてられた挙句、出世の見込みを失った飼い殺しの鬱懐を晴らすやり場もない苦悩と闘っている彼の胸中は、どのような炎にたぎっていたのでしょうか。

隆家が次に歴史の舞台に登場するのは、その11年後の1019年。中堅の公卿として第二の人生を歩んでいた中年の隆家は、甘いも辛いも吸い分けた名君として、任地の大宰府で善政を施いていたのですが、突然来襲した数千もの異国の大軍を迎え撃ったのです。

「刀伊の入寇」
と言われる迎撃戦は、壱岐守藤原理忠が戦死し、農民や女子ども400人近くが虐殺され1,200人以上が拉致されるという、300年後の元寇にも匹敵する未曾有の国難でした。牛馬や犬の肉ばかりか人肉まで喰らうという女真族(後年の満州族)に対して、都からの救援もない孤立無援であったにもかかわらず果敢に戦いを挑み、ついに撃退に成功した隆家は部下への恩賞を求めるのですが、都では勅命を無視したと非難されたといいます。いつの時代にも、真の英雄は毀誉褒貶が付きまとうものですよね。

私は、名誉にこだわる我執や保身にこがれる官僚主義を克服して、自身の使命の人生を切り開いた隆家の生きざまに共感します。そして、歴史に埋もれた英雄を発見できた歓びを、心からかみしめています。