2022.08.16 (Tue)

【財政危機の実状】
2022年夏、京都市の財政危機が注目を集めている。なんとしても克服しなければならない。それぞれの政党・会派は、主義主張の違いによる不毛な対立を乗りこえて、京都市の未来のために議論を尽くすべきである。この重要な点について私見を論じていきたい。
京都市が財政危機に瀕しているとのニュースは、多くの人から意外性を持って受け止められている。観光世界一を誇り、多彩な伝統文化に恵まれ、大学の集積により人材が集まり、誰もが知る有名企業が立地している、などなどの評価が定着しており、その京都市が財政破綻の危機に瀕しているという事実は、「世界が憧れる」イメージとかけ離れていると言ってよい。
しかしながら、この危機的状況は一朝一夕に始まったものではなく、何十年も前からの構造的な要因によってもたらされたものである。高齢化が進行する中、景観を守るため高さ規制をしたことによる固定資産税の低迷に加え、中小零細企業が99%を超える地域特性が大きな要因であり、徴税率を100%近くまで高めるなどの努力を重ねているものの、ここ数年のコロナ禍で大きなダメージを受けてしまった。
20年以上前から「財政非常事態宣言」を出していたが、伸び悩む収入に比べ、福祉的経費の増大など支出が膨れ上がり、いびつな収支バランスを是正する一環として、禁じ手と言われる「公債償還基金」の取り崩しを繰り返して財源を確保してきた。しかし、このままでは基金が底をつくことが目に見えている。今までのような「先送り」は許されない状況であることは間違いない。
これ以上、若者や子どもたち「将来世代」にツケを押し付けることは不可能であり、今の大人たちが力を合わせて、勇気をもって改革に乗り出していく必要がある。公明党は、京都市の行財政改革は避けて通れない最重要課題であるとの問題意識で、建設的な政策提言を重ねてきた。
【行財政改革計画の評価】
令和3年8月、京都市が策定した「行財政改革計画」は、識者や市民の代表らで構成された審議会の答申を踏まえており、公明党の提言も数多く取り入れられていることから、一定の評価をするものである。特に、「民間活力の活用」と「デジタル化の推進」はムダ削減とサービス向上につながるので、スピーディな工程管理が求められる。同時に、補助金見直しやイベント縮小および受益者負担の適正化など「痛みを伴う」改革は慎重かつ丁寧に進めるべきである。
計画の詳細は京都市HPでPDFが公開されている。70頁の分量だが極めて重要な内容であるので、コチラをクリックしてご参照されたい。
これら計画の遂行に当たっては、現状をきめ細かく検証し、見直しや改善を積み重ねなければならないのは当然である。硬直した意識を変革し、柔軟な発想でタイムリーな施策を推進し続けなければならない。―これが公明党の変わらぬスタンスである。
これに対し、門川市長に反対する野党勢力は、「失政である」と声高に非難している。維新や京都党という第三極の勢力は、「身を切る改革」を旗印にして、各種施策の削減へ大鉈(おおなた)を振るうべきと論じているが、幅広い分野の各世代の方々の「痛み」に寄り添う姿勢は見えてこない。
もう一方の共産党は、各制度の「見直し」「改善」に反対し、行財政改革計画の撤回を求めている。段階を踏まえて策定した計画に対して、突っ込んだ検証をすることなく「撤回」を主張するのは、財政破綻を回避する責任を放棄していると言わざるを得ない。
第三極と共産党の主張は真っ向から反発している。極端と極端に走る議論では徒らに分断するばかりで、事態は膠着状態のまま前に進まない。だからこそ、そのど真ん中に立つ公明党は自民党と連携を深め、合意形成への架け橋となって、具体的な施策を的確に進めているのである。
【共産党の主張に疑問】
今年の上半期、共産党は議会質疑等で「京都市の財政破綻」は誇大宣伝であり、改革計画を「市民を脅し負担を押し付けるキャンペーンだ」と非難した。はたしてそうだろうか。以下に論じていきたい。
1.令和3年2月予算で「275億円の収入増」があったことを踏まえ、共産党は「財政破綻するとした行財政改革の前提が崩れている」と言っている。しかしその「収入増」は今回限りの『特例』(国の緊急地方財政対策で地方交付税が増えたことが要因)であり、市税収入が増えれば交付税は減る仕組みになっているため、4年度以降の大幅な増額は容易ではない。改革を行なわなければ特別な財源対策からは脱却できない実態がある。
2.2月の予算時の「収入増分」を基金借り入れへの返済に充てたことを批判し、共産党は市民生活の支援に使うべきと主張しているが、一時的な財源をあてにしたところで継続的な施策にはならない。持続可能な支援のためには、当面の基金の枯渇を回避するべきである。その意味から、将来世代への負担を軽減することが重要と判断した市の姿勢は評価できる。
3.基金への返済を重視したもう1つの理由は、会計間の移動とはいえ「利子」が発生(昨年度決算で1,746万円)しているので、今回の増収分を基金に積み増す方が今後につながっていくからである。
以上の点から、厳しい財政危機を克服するために、京都市が基金借り入れへの返済を優先し、徹底した行財政改革と将来を見据えた成長戦略を展開する方針を立てていることは極めて妥当であり、共産党の主張は的外れではないかと指摘したい。
ところで、共産党は「市民サービスを切り捨て負担増を強いるのではなく、厳しい市民生活を支援すべき」と主張している。それを真に受けると、「政府や自治体は何もやっていない」という不平不満が刺激されるので注意が必要だ。なぜなら、政府は野党から言われるまでもなく、コロナ禍を重く受け止め、具体的施策を連続して打っているからである。
具体的には、緊急小口資金貸付・生活支援金・住宅確保給付金・生活困窮者自立支援金・雇用調整助成金・家賃支援給付金・事業再構築補助金・事業復活支援金などであり、また京都市も、これらと連動して予算を確保し、中小企業総合支援補助金・就労継続支援助成金・文化芸術活動等奨励金・医療機関への支え合い基金などを実施してきた。「何もできていない」というイメージに幻惑されては本質を見誤る。大事なことは、具体的な施策をいち早く着手した上で、現場の声を受け止めて見直しや改善を積み重ねていくべきではないだろうか。
【持続可能な財政へ】
京都市財政の健全化を図るうえで、現在の諸制度のうち、発足当時から大きくコストが膨らんで財政を圧迫しているもの(例えば敬老乗車証や家賃減免など)については、いっさい見直してはならないと主張するだけでは「スリム化」は前に進まず、やがて制度自体が破綻を余儀なくされてしまう。そうならないためには、勇気をもって見直しに着手し、持続可能なあり方に改善していく必要がある。
ここで、分かりやすく「例え話」で説明したい。・・・・・・ある食堂が高齢者向け定食を500円で提供していたが、高齢化の進展で需要が増大すると同時に、食材の高騰や人件費の増加などで仕入れと売り上げのバランスが崩れ、最終的には食堂自体が立ち行かなくなってしまう、という危機に直面しているとする。この場合、一時的なキャンペーンで値引きするなどの工夫をしたとしても、それが終わると再び危機に直面する。店が潰れないため(持続可能な経営に転換するため)には、やむを得ず「500円定食」を700円に値上げさせてほしいと言っているようなものである。
公明党は、この例えで言えば、値上げはやむを得ないが「600円」にできないか(あるいは値上げ時期を延期できないか)と提案している。それに加えて、「高齢者向け定食の対象基準を見直す」「ライスのお替りを有料にする」「水やおしぼりをセルフにする」などの実用的かつ建設的な提言を試みていると理解していただきたい。(あくまで食堂のたとえ話であるが・・・)
要するに、持続可能な財政に転換するために現状の制度を改善することは、一時的な抵抗感があったとしても、どこかで誰かがやらなければならない、それが今なのである。そういう理屈は頭ではわかっていても感情では受け入れにくいものであるが、このような感情的反発が政治利用され不毛な足の引っ張り合いに陥った時、シワ寄せを押し付けられ迷惑を受けるのはいつも庶民ではないだろうか。
公明党議員団は、市長に対して「見える化」と「透明化」をより進めていくべきと口を酸っぱく提言している。1人でも多くの市民に改革の重要性を理解していただき、「何とかして乗り越えていこう」との思いを共有して、実際の意味で「市民協働」を進めていくために不可欠だからである。説明責任を果たして初めて、市民参加の民主市政が本格的に始動すると確信し、市長と議会による「二元代表制」を機能させてまいりたい。
その上で、「国との連携」を今まで以上に拡充する必要がある。公明党は参院選に向けて発表したマニフェストで、「経済の成長と雇用・所得の拡大」「誰もが安心して暮らせる福祉社会」を掲げた。「平和外交」「防災立国」「デジタルで拓く地域社会」「感染症に強い日本」への施策も明確に示している。自公の安定政権で矢継ぎ早に進める1つ1つの政策と連動して、現場の最前線を活性化することが、京都市の財政立て直しに直結すると確信する。
「見える化」を進めて市民と協働し、「国との連携」を拡充して先手を打つ。この2点を基調としてブレずに、前へ前へと進み続けることこそ、財政危機克服の王道ではないだろうか。
「さあ、出発しよう! 悪戦苦闘を突き抜けて! 決められた決勝点は取り消すことができないのだ」(ホイットマン『草の葉』)