吉田たかおのよしだッシュブログ

京都市会議員 (公明党)・吉田孝雄が日々感じたことを綴ります。

「池上選挙特番」におもう

2013.07.24 (Wed)
参議院選挙の余韻さめやらぬ時ですが、ネット上では「テレビ東京系の選挙特番で、キャスターの池上彰氏が公明党を論破した!」という話題に花が咲いているようです。

地デジ以降、我が家はテレビ大阪が受信できなくなってしまったため、上記番組を見ることはできなかったので、ネットで検索して動画を視聴しました。

ネットでは、「池上よく言った!」「創価から命を狙われるのでは?」などのコメントが殺到し、祭のように騒がれていますので、どんな激論が交わされたのかと期待していたのですが、実際に動画を視たら、激しいバトルというものではなく、まるで肩すかしをくらったような気分です。

私の率直な感想を申し上げますと、「池上氏は世間で創価学会や公明党に偏見を持っている人向けに、公の場で公平な議論の場を提供してくれたのではないか」というものです。

そして、番組のインタビューで池上氏に直撃された佐々木さやかさん(参議院神奈川選挙区で初当選)も、臆することなく理路整然と質問に応えており、頼もしい限りと感心した次第です。

番組自体は、開票速報のたびに喜怒哀楽の大小のドラマが錯綜する騒然とした雰囲気だったと思いますが、池上氏も佐々木さんも感情的になることなく抑制したやり取りを展開され、好感の持てる内容だったのではないかと思います。

ただ、動画を視聴した方から寄せられるコメントの中には、先入観によって歪められた悪意に満ちた罵詈雑言が少なからずあり、複雑な心境になったのも事実です。

「こんな美人が創価とは・・・」という差別意識丸出しの言い方や、「創価なんて消えて無くなれ・・・・」という排他的な感情論は、いくら匿名掲示板とはいえ、読んでいて悲しくなってしまいました。

「創価=公明党は政教分離に違反している」という決めつけは、歴代の内閣法制局の公式見解で否定されていますし、「創価学会は集団で住民移動している」という噂は、必ず公式な場で発言した人が後に謝罪に追い込まれている根も葉もないデマに過ぎません。

ようするに、「宗教に熱心な人は気色悪い」「宗教にすがる人は弱い」という日本人の心の奥底にしみついた感情が根源になっていると言わざるを得ないのです。

特に、曖昧さを許容する国民性からみたら、創価学会員が確信を持って「星はたくさんあるが太陽は1つしかない。正しい宗教も1つしかない」と主張することに対して、無意識に反発してしまうのではないかと思います。

創価学会の政治活動については、池上氏は割とフェアに認識しているようで、番組でも「政教分離に違反しているのではないかという声が寄せられています」という言い回しで、自らの意見ではないというスタンスでした。

また、佐々木さんが「政教分離とは、政府が個人の信仰に介入したり押しつけることを禁ずるもので、信仰する人が政党を支援することを禁ずるものではありません」と澱みなく答えたとき、池上氏は反論することなくインタビューを終わっています。

そういう理由で、私は池上氏が悪意を持って公明党を批判したのではないと受け止めているのです。ましてや、直撃インタビューで公明党が粉砕されたとは全く思えないと申し上げます。

実際、調べますと選挙活動する宗教団体は創価学会だけではありません。他の教団も特定の政党を支援していることは当たり前といっても良い事実です。

多くの国会議員や地方議員は、宗教団体の支持を得るために複数の団体の会合に積極的に参加しています。信じられない方は公明党以外の政党の議員さんに「ホンマですか?」と聞いてみてはいかがでしょうか?

また、ドイツのメルケル首相は「キリスト教民主同盟」という政党の党首です。宗教政党が政権を担うことは世界では異常でも何でもないのです。「キリスト教は良いが仏教はあかん」という理屈が通用しないことは明らかですよね。

以上、創価学会員が公明党を支援することは、政教分離に違反するものではなく、正当な国民の権利であることを主張させて頂きました。

もし、反論がある方は、匿名ではなくお名前を名乗って私のメールアドレスに送信して下さい。

さて、以下は、私の個人的見解を申し述べます。

上記番組の中で、取材に応じた創価学会員の女性が「公明党を応援するのは功徳を積むためです」という趣旨の発言をしたと紹介され、池上氏が佐々木さんに問いただしています。

これに対して、佐々木さんは「支持団体の方針に党として発言するものではありません」と答えていました。

確かにその通りで、池上氏もあっさり引き下がっていましたが、私自身は「もうちょっと突っ込んで意見を述べても良かったんじゃ・・・」と感じました。

なぜなら、「学会員が公明党を応援するのは功徳を積むため」という言い分は、学会の“方針”ではなく、その方の個人の見解(あるいは宗教的信念)だからです。

私は、この考え方が間違っていると言うつもりはありません。しかしながら、まん中の重要な部分がすとんと抜けており、大きな誤解を生んでしまうのではないかと心配になってしまいます。

したがって、この“MyOpinion”ページで、その「まん中の部分」についての私の個人的見解を述べさせていただきます。

「学会員が公明党を応援するのは功徳を積むため」という言い方は、「功徳」の意味を狭義の「現世利益」に限定すると、「個人の利益のために政治活動をしている」と受け止められ、私利私欲にまみれた宗教団体が信者を誑かしているというイメージにつながってしまいます。

「功徳」とは、仏法では「六根清浄」と解説され、信仰によって人間の心と身体が清らかで力強くなり、自分にしかない豊かな個性が輝やいていくことを言います。

神仏にすがる宗教は、神仏から利益を求め、神仏にそむけば罰を受けると教えています。しかし、創価学会の価値観は全く違って、自分に内在する無限の可能性を発揮して、自分の力で自分を変革して自分の歩む道を切り開く――人間革命の人生を歩みゆくことで、宿命の嵐にも翻弄されない自身を確立するのです。

人間の心の奥底にある闇は、様々な表現がなされています。嫉妬・憎悪・貪欲・傲慢・淫乱・自己嫌悪・エゴ・驕慢・怠惰・憜弱・・・・・Etc。

しかし、同じ人間であっても、光り輝く生命が厳然とあります。慈悲・克己・誠実・謙虚・感謝・献身・報恩・包容・英知・共感・真剣・・・・・Etc.

闇に蠢く生命を乗り越え、光り輝く清浄な生命を磨きゆく挑戦の日々によって、自己の悲哀を克服し、現実生活のなかで具体的な勝利を積み重ねていくことができるのです。

そのためには、何が必要か。鎌倉時代の日蓮は、その方途を自らの生きざまで示しました。政治変革のための「言論戦」を果敢に展開したのです。

日蓮は、「立正安国論」を鎌倉幕府の最高権力者北条時頼に提出しましたが、それだけでなく、蒙古から国書が届いて国情騒然とした折には、幕府の11人の要人に諌暁の書を送付しました。これを「国主諌暁」といいます。

ここからも明らかなように、日蓮の教えの本質は、自らの成長や安穏を得るには自分のために祈るだけではなく、より良い社会の建設に貢献するために政治を監視し、言うべきことを言う――というものです。

現代の民主主義の時代は、言うまでもなく「国主」は1人1人の有権者です。有権者たる自分自身が、有権者である友人知人に対して、臆病を乗り越え勇気を振り絞って政治を語る――この言論戦こそ現代における国主諌暁であることは論を待ちません。

創価学会は、会員の中で強固な意志と無私の精神を持つ人材を登用して、政治の舞台に送り出すべく、昭和30年に地方議会選挙に、31年には国政選挙に挑戦し、昭和39年に公明党を結党しました。

公明党は創価学会の子どもです。でも、一心同体ではありません。初期は子どもは親を頼って指導を求め、親も子どもを心配して教導しましたが、50年もたつと良い意味で独立します。

子どもとして親を尊敬し尊重することは言うまでもありませんが、言いなりではないのです。公明党と創価学会の間柄はそういうイメージです。

他の宗教団体は、自前で政党を作ることはできませんでした。だから既成政党を支援しているのです。(最近、幸福の科学が政党を結党しました)

「創価学会員が公明党を支援することで功徳を積む」ということは、「国主諌暁」の精神で政治改革の言論戦に果敢に挑むなかで「六根清浄」が可能となり自己の変革を勝ち取る――これが、私なりの解釈です。

公明党議員としての誇りを高らかに、庶民のための政治を実現するという使命を自覚して、誠心誠意頑張っていくことを、改めてお誓いし、この長い文章を終わります。

最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。