吉田たかおのよしだッシュブログ

京都市会議員 (公明党)・吉田孝雄が日々感じたことを綴ります。

指定期間 の記事一覧

市政報告会ラッシュ

2008.06.29 (Sun)
雨が降ったりやんだりの週末。読者の皆さんはいかがお過ごしだったでしょうか?

私は、鬱陶しさを吹き飛ばして街頭に打って出ました。3日間で7か所の街頭市政報告会。最後の日曜日は雨でずぶ濡れになりましたが、爽やかな気持ちでいっぱいです。

また、29日お昼の党員さん宅をお借りしての待賢学区市政報告会は、壮年大会と銘打った開催でしたが、20名近い方々が雨の中を集ってくださいました。男だねぇ~っ! 

この週末は、屋内屋外あわせて8か所と、まさに市政報告会ラッシュでした。わざわざ横断歩道から駆け寄って励ました頂いたご婦人、車から手を振ってくださったお兄さん、私の拙い話を「良かったで」と褒めて下さった方々、本当にありがとうございました!

時間をやりくりして、2件の市民相談と3社の企業・店舗も訪問。じっくりと膝づめで話ができました。充実の週末となり、明日からの活力も全開です。

最後に報告です。少し前に「DO YOU KYOTO?」に関心を持っておられる市民の有志の皆さんから、セミナーを共催しませんかとのお誘いがありました。こんな嬉しい話があるなんて!

公明党上京支部スタッフの意見も全会一致でまとまりました。定例の支部会を予定していた日時と会場でセミナーを開催することになり、講師も決まりつつある状況です。

京都から新時代の波をおこしゆく、わくわくするようなうねりが起こりつつあります。頑張りまっせぇ~~っ!!

京極学区で市政報告会

2008.06.27 (Fri)
6月27日は、京極学区の党員さん主催で市政報告会を開催していただきました。平日の夜7時開始にもかかわらず、10名以上の方々がご参加くださいました。本当にありがたかったです。

竹内ゆずるさんの地元
学区だけあって、政治を良くしていきたいという意識の高い方がたくさん。形式ではなく中身が大事とばかり、ざっくばらんな懇談となりました。

深刻化する格差の問題、その中でまかり通る不公平の問題、利権としがらみの問題、パフォーマンスに左右されない地道で実効力ある地域活動の重要性などなど、多岐にわたる話題で大いに盛り上がりました。

エゴと不満感にまみれている今こそ、公明党が活躍していかなければなりません。その原点をあらためて実感することができた会合となり、感謝でいっぱいです。

終了後、皆さんが口々に「ほんま勉強になったわぁ~っ!」と喜んでいただきましたが、勉強させていただいたのは私の方です。何としても、ご期待に応えなければならないと、深ぁ~~く決意!

写真は、報告会に向かう途中で撮影した学区内(寺町通り今出川上る)の舗装工事中の様子です。地元の声を届けて実現した実績に対して、党員の皆さんが誇りを持って語って下さっています。7月には完成予定とのこと。お近くをお通りの際には、ぜひ見て下さいませ。

人間ドックでした

2008.06.26 (Thu)
6月26日は、朝から人間ドックでした。2日前から検便、前日から絶食と、邪魔くさがりの私は、戦々恐々と当日を迎えました。

血圧、心電図、採血、身体測定・・・・・と淡々と続きましたが、腹周り測定では、1メートルの大台には届かず、ちょっぴり安心。予想通り、お医者さんからは「85?超えてますから立派なメタボです」とお墨付きをもらいました。とほほ・・・。

胃カメラは、何度経験しても慣れません。MRIも、何とも言えないすさまじい音が耳に響いて、こちらもたまりません。健康のためですから辛抱あるのみです。

お医者さんとの問診で、何度も出てきた言葉は――ストレスです。

胃カメラに写った映像を見ながら「荒れていますね」と言われましたし、2年前に心因性と診断されたジンマシンも、時間がなくて通院できないままですと申告したところ、「仕方ないですね」とのこと。

ストレスの原因を除去すると言っても、転職するわけにはいきません。ストレスを克服する強靭な心身に鍛えぬいていくしかないというのが、結論になりました。

振りかえってみたら、立候補を打診されたのが、ちょうど2年前の6月。その翌日はあまりの重大な立場に立った衝撃で、起床した時に首が回らずに整形外科に直行し、注射を6本打たれました。会社を辞めるまでの3ヶ月間は、上記のジンマシンに罹って通院もしました。大変だったなぁ・・・・・。

ところが、一昨年9月に退職してから今日までの激闘の日々ですが、何と風邪ひとつひかず乗り切ってこれたのです。おかげ様で今も元気いっぱい! 

土日も正月も休みらしい休みも無い連続闘争で、徹夜の政務調査も遠距離の視察出張も炎天下や厳寒の地域回りも、何やかやと大変だったのですが、寝込むことなく頑張ってこれました。

ひとえに、多くの皆さんの励ましの賜物と、感謝の気持ちででいっぱいです。御期待に応えようという責任感で、心身が充実しているのだと思います。これからも健康に留意しつつ、真剣の二字で走り回ってまいります。 

メタボも必ずや克服するものと確信します。ホンマかいなとお思いの方、期待せず見守ってやって下さい(←おいおい)

6月くらし環境委員会質疑

2008.06.24 (Tue)
6月24日10時より市会第2会議室でくらし環境委員会が開催され、曽我議員(伏見区)とともに出席しました。

まず環境局から、昨年5月に発足以来8回にわたって議論されてきた京都市ごみ収集業務改善検討委員会について報告があり、それに対する質疑がありました。

曽我議員は、ごみ収集業務の50%を民間委託する方向性について、それを不祥事根絶に連動させていくために、細部のプロセスを丁寧に推進するよう論じました。同時に、民間参入を激化するなかで起こる懸念を取り上げ、コスト削減重視が市民に迷惑をかけてしまわないよう訴えました。

私も、最後に手を挙げ、民間委託が30%になったと言っても、市民にとって目に見える形で効果が実感されていないと指摘。ごみ収集サービスの質的向上という観点が机上の空論にならないために、市民の目線に立った具体的な評価基準を明確化すべきと主張しました。新米議員ですが、遠慮しててもダメ。あとで反省したらええんやから、言うことは言わんとね。

真摯な表情でうなずいた理事者から、具体論はこれから検討するとの答弁があったので、現場意識を重視するよう訴えるとともに、競争原理の導入が業者間の疲弊を生むなどの歪みを起こさない、叡智ある事業計画を求めました。

午後からは文化市民局。6月1日から違反者から1,000円の過料を徴収する取組みが始まった路上喫煙条例の状況報告がありました。3週間で60件の徴収があったとのこと。理事者も、半数以上が市外からの来訪者であることを踏まえ、いっそうの周知徹底に力を入れると言明しました。同感です。

昨年来議論に参加してきた私は、摘発が目的ではなくモラル向上が大事であり、だからこそルール違反者が出ないような効果的で迅速・的確な活動が重要であると訴えました。そうしないと「見つからへんかったらええやん」がまかりとおってしまいかねません。それはあきまへん!

粘り強い継続性と柔軟な応用力が大事
です。大阪市は3ヶ月ごとに対策委員会を定例開催し内容の公表もしています。また、横浜市はHPで動画を活用し視覚に訴えているだけでなく、Q&Aコーナーも工夫しています。これらを紹介すると、理事者から積極的に他都市の姿勢を学び研究するとの答弁がありました。

常任委員会が終わるたびに、いつも反省してます。もっと勉強せなあかん――ばっかりです。必死で100頁近い資料を読んでも、実際には使いこなせていないのが現状。情けないですわね。歯をくいしばって研鑽し続けるしかないです。

以前、夕張市破たんを報ずるワイドショーで、あるジャーナリストが「地方議員は年に何日も働いていないのだから、今の給料は高すぎる」と発言していました。そんなセリフを撤回させるような活動を展開し、実績を重ねて京都市活性化に貢献する決意です。

家庭動物相談所を視察

2008.06.23 (Mon)
6月23日午後から、大道議員(南区)・平山議員(西京区)とともに、南区の京都市家庭動物相談所を訪れ、施設を見学させていただき、臼居所長はじめ職員の皆さんから説明を受けました。

昭和54年10月に完成した相談所は築29年を迎え、さすがに年季が入ってました。殺処分を余儀なくされた動物の慰霊碑もあり、生命の尊厳について思いをはせました。同時に、職員の皆さんのご苦労もわかりました。

飼い犬・飼い猫の引き取りの問題について、国の法整備・地域の意識改革・モラル向上への啓発などなど様々な課題を熱く意見交換し、時代の慌しい変化に対応しなければならないと痛感。
 
スタッフの皆さんの動物への愛情と事業充実への熱意をお聞きし、感動するとともに、市民レベルの共感を拡大していくための広報啓発の重要性を、改めて実感しました。現場に足を運ぶことは、本当に大事ですよね!
 
動物愛護はじめ様々な政策課題があります。これからも地道に勉強を重ね、先輩議員や市民の方々からのご意見を貪欲に求めていこうと決意しています。そして、決意だけで終わらず、実際に縦横無尽に動き、成果を挙げてまいります。ぜひ、読者の皆さんのご指導・ご鞭撻をお願いいたします。

※夜は、地元・出水学区の少年補導総会に参加させていただきました。地域の安心安全に貢献されている方々の熱心なやり取りを目の当たりにし、心から感動しました。私もお役に立てるよう、頑張ってまいります。

ジュニア環境サミット

2008.06.22 (Sun)

 
6月22日10時から京都市教育委員会主催のジュニア環境サミットが、国立京都国際会館アネックスホールで開催され、一保護者として家族と一緒に参加しました。

雨模様にもかかわらず、多くの家族や教育関係者が集い、広い場内は熱気であふれていました。私たち家族も、地球に優しい地下鉄で参加。何回も椅子が補充されるくらいの満員札止め状態に、関心の高さがうかがわれます。

門川市長のあいさつなどのあと、市内の小中学生の代表31名が活発に意見を交換。たくさんの参加者に囲まれるような大変な状況の中、想像を絶する緊張感と闘いながら、逞しくひたむきに発表されていました。心から拍手を送りたいです。

子どもたちが紹介した、学校や地域で取り組んでいる具体的な活動は、いずれも本当に尊い貴重なものばかり。楽しみながら、手ごたえを感じながら、地球の将来のためにできることを、毛穴から学んでおられる様子がうかがえました。 

「継続しなければ意味がない」「心をどう変えていけるかが大事」「自覚のないままの活動は行き詰る」・・・・・子どもたちの言葉に、ドキッとさせられました。原稿を読みながらの、たどたどしい発表でしたが、一生懸命さと真剣さが伝わってきました。すごい準備だったんだろうなぁ!

一緒に参加した3人の子どもたちと、帰りの車中でいろいろ話し合いました。こういう経験が、将来に残るんかなと思いつつ、できることから実践しようということと、たくさんの本を読もうと約束。お父さんも頑張って読むしな。

※教育委員会の何人かのスタッフから「いつもブログ読んでますよ」と声をかけられビックリしました。赤面の至りですが、励みになりました。

温暖化防止シンポジウム

2008.06.21 (Sat)
 

6月21日13時30分より、池坊学園にてNPO法人・気候ネットワーク主催の温暖化防止市民シンポジウムがおこなわれ、私も津田早苗議員(伏見区)、湯浅光彦議員(右京区)とともに参加しました。 
  
活発に活動されている気候ネットワークの設立10周年を記念するシンポでもあり、国会議員もパネラーとなる豪華なラインナップでした。100名近い聴講者のなかには、私たち3人以外にも自民・共産の市会議員の姿もあり、KBSほか数社もマスコミの取材も。

参加者を見渡すと、学生やシルバー世代は1割くらいで、壮年世代のビジネスマン・学術者・教員風の男性が多かったです。女性も熱心な活動家のような方々が多く、真摯な熱気が充満していたのが印象的でした。

浅岡美恵代表が18日付の公明新聞紙上で、浜四津代表代行(参院議員)と鼎談されていたので、このシンポジウムも最後まで聴講したかったのですが、15時から大切な約束があり泣く泣く中座せざるを得ませんでした。次回は最後まで残って、質問もできるくらいに予習しておこうと決意しました。

私が最初から最後まで聴講できたのは、初っ端の国連環境計画金融イニシアティブ特別顧問の末吉竹二郎氏の「地球温暖化を巡る新しい金融化の流れ」という講演だけでした。しかし、この講演が実に凄かったんです!

「カネですべて解決できると思ってるのか!」というようなセリフからのイメージで、金融や投資はネガティブに思われがちですが、温暖化に対する世界の金融界の流れは予想を大きく上回るものでした。

末吉氏は「大事なのは、お金を使いこなす智慧であり、そのためには高い倫理観と志が不可欠なのです」と述べ、気候変動リスクに後ろ向きと非難されてきた米国の金融界が、長期的ビジョンに基づいた巨大なスケールの対策を着々と進めている事実を紹介。

深刻なのは、頑張っていると自己主張し実績を語る日本に対して、世界中の関係者からは視野が狭すぎると顰蹙を買っているということなのです。氏は「情緒的でビジョンに欠け、小手先で甘く、強靭な意志が見えてこない」と、手厳しい言葉を繰り返しておられましたが、その切実な危機感が愚鈍な私にも伝わってきました。 

15時30分から「気候保護法と政治・地域の役割」とのタイトルで、自民・民主・共産党の国会議員と浅岡代表がディスカッションをされるプログラムでしたが、前述のとおり途中でぬけて移動しましたので、津田議員から後日聞こうと思っています。

公明党の国会議員も、このようなシンポジウムでパネラーになって、がんがん活躍してほしいなぁ――と心から実感しました。屈指の論客・竹内ゆずる元衆院議員の復活を切望するのは、公明党関係者だけではないと確信するものです。
 
お堅いレポートになりましたが、ここ2回分の投稿が柔らかすぎたので、ちょうど良いバランスになったのでは?――と、勝手に思っております。

私の青春時代ーその2

2008.06.21 (Sat)
自分の性格を自己分析すると、粗雑でズボラなのですが、けっこう凝り性なところがあります。
 
野口英世をきっかけに、小学校時代はポプラ社と階成社版の世界偉人伝集を全巻読破しました。山口百恵ファンだったので、主演映画の原作をきっかけに川端康成と三島由紀夫にのめりこみました。漱石・鴎外にも突撃したなぁ。不思議な少年でしょ?
 
中学時代は、横溝正史ブームがあって、友人と回し読みしてスピードを競い合い、感想を述べ合っていました。太宰治や芥川などの文学好き青年にとって通過儀礼と言える作家にもはまりました。そこからは手当たり次第です。
 
活字中毒
は今も後遺症が残っています。まじで幸せなことだと思ってます。
 
スポーツも凝りました。相撲(北の湖全盛)やボクシング(具志堅全盛)も雑誌を購入しまくりました。北野天満宮の毎月25日の天神さんでは、古本の一角に欠かさずに通って、大鵬や原田の時代の雑誌を探しました。
 
その中でチャンピオンは、やっぱりサッカーです。専門雑誌や書籍を求めて、京都中の書店や古本市をさまよい歩きました。頭の中はサッカー関連の雑学で今もいっぱいです。(←威張らんでもええやん、との声あり)
 
ビデオが普及したのは社会人になってからですが、サッカー・ボクシング・相撲の名勝負ビデオは、あらかた収集しています。(独身時代の給料はほとんどこれらに消えました)
 
雑誌はかさばるので、かなり処分しました。泣く泣くです。惜しいなぁ・・・・(遠い目)。ビデオは今も時々鑑賞しています。観ながら「そこやっ!」「走らんかっ!」「何してんにゃっ!」と無意識で叫ぶらしく、家族からは「結果のわかってる試合見て、何が嬉しいんや?」と気味悪がられています。
 
前置きが長くなりましたが、中学時代の私は、サッカーの知識については同僚の誰にも引けを取らず、最新の戦術論にも通じていたためか、先輩からも一目置かれ、たいして上手くないのにスタメンを張っていたのです。
 
これでも、頑張って勝利に貢献していたのですよ。影でランニングや自主トレに励んだ努力は報われるものですよね。赤に白襟のユニホームの背番号は、1年なので「15」。釜本の日本代表での番号と同じなので、おこがましくも「オレも!」と夢を抱いていたものです(またまた遠い目)。
 
ところが、2年の6月、休み時間のボール遊びで右手中指を骨折していまい、ブランクを作ることになってしまったのです。完全に自分の油断。悔やんでも悔やみきれません。1か月はボールを触れず、ランニングと筋トレのみの練習に耐えるしかありませんでした。
 
そして、7月。満を持して復帰を果たし、勘を取り戻すため練習試合にも途中出場させてもらったのですが、1週間もたたずに再び怪我をしてしましました。今度は左肩の骨折! 何というバカなことでしょう。しかもかなりの重症で、結局は入院し手術も余儀なくされたのでした。
 
入院先の休憩室のTVで、同世代のコマネチがモントリオール五輪で10点満点を連発している活躍を、ぼんやりと観ていたことを昨日のように思い出します。
 
今となっては、若いころの挫折はプラスになったなぁと実感しますが、その時は暗澹たる思いでした。ポジションを奪われ、試合も勝ち進み、好成績を収める中で、自分だけが取り残されてしまっているのですから。 
 
そこから這い上がる日々が始まりました。ホロ苦い青春ドラマの王道の筋書きですが、歯をくいしばってリハビリと自主トレに励みました。復帰まで1年。長かったですが、今思えば最高の財産です。

3年の夏季大会に実戦復帰にてプレイできたときの感動と、チームメイトの笑顔は間も忘れません。根性と友情は尊いですよねっ!

そんなに多くはないでしょうが、関心ある方がいらっしゃるかもしれません。続きはいつになるやら・・・・・。慈悲深く気長に続きをお待ち下さい。

私の青春時代ーその1

2008.06.20 (Fri)
一部の読者の方から「続きはいつ書くにゃ」とせっつかれている、不定期連載トーク「私の少年時代」。いよいよ中学生編突入ですので、タイトルも一新して「私の青春時代」とさせていただきます。

中学になったら部活は何にするか、入学時には私の心は決まっていました。サッカー部です。

おっさんなもんで、私の時代にはキャプテン翼は始まっていませんでした。当時はテレビ中継も無く、スポーツニュースでもほとんど取り上げられてませんでした。サッカーのサの字も頭の中になかったのです。

ところが、小学校卒業直前の1月、偶然テレビで観たバイエルン・ミュンヘンVS日本代表の試合に魅了され、書店に走って購入したサッカーマガジン(しかも表紙はヨハン・クライフ!)を読みふけって、いっぺんにサッカーフリークになりました。

しかも、毎週土曜日(かな?)にKBS京都で、前年のワールドカップ西ドイツ大会の全試合が録画放映されていて、当時の最高レベルのプレイを見続けることができたのも大きかったです。(と言っても45分枠でしたので、2週にかけて1試合がようやく観られるという扱いでした。五輪代表の練習試合がCMなしの生中継される現在とは雲泥の差ですわね)

今から思えば、贅沢でしたよ。なんせ、生中継で観た試合に出場したバイエルンの主将が皇帝ベッケンバウワー、エースが爆撃機ミュラーという、ワールドカップ優勝の原動力コンビだったのですから。

しかもゴールを決めたのは1軍に昇格したばかりの若きルンメニゲというから、サッカーファンにとって垂涎の歴史的一戦だったわけです。(若いお方、うらやましいでしょう?)
 
てなわけで、私は中学に入学するや否や、朝練から深夜の自己練まで、ボールを蹴り続けるサッカー漬けの毎日を送ったのでございます。

声出しも球拾いもランニングもダッシュも、ライン引きも小石拾いも色んな準備も片付けも、全力で頑張りました。雨の日の筋トレも炎天下のロードワークも朝練のゴールネット張りも、歯をくいしばって踏ん張りました。

おかげ様で、1年の夏から先発メンバーに選ばれ、試合に出るまでになりました。嬉しかったなぁっ!!

ところが、中二になってすぐ、思いもよらない試練に見舞われてしまったのです。そ、それは・・・・・ジャジャジャジャ~ン!!

続きは次回っ(←なんじゃそら)

文化の都・京都の使命

2008.06.19 (Thu)
≪My Opinion≫

今日は、ちょっぴり堅い話を述べます。少し長い文章ですが、関心ある方はお読み下されば幸せです。

今の時代は、日本が近代化を歩んで以降、第三の激動期に当たるのではないかと、私は思います。

明治維新を機に、富国強兵を進めて軍事大国の道をまい進したのですが、約80年後に敗戦という厳しい結果になりました。

戦後は、奇跡の復興を成し遂げ、経済大国の道を驀進しましたが、50年もたたずに、バブル崩壊で一敗地にまみれました。

そして今、少子高齢化が進行して社会保障の崩壊が叫ばれ、ワーキングプアが深刻化して若者が希望を失いつつあります。

これからの日本が進むべき道は何なのか? そのカギを、私たちの住む京都が持っているのではないでしょうか。

京都は5千万観光客構想が順調に進捗し、源氏物語千年紀などもあって国内外からの注目を集めています。国内に遍在する伝統文化・伝統産業の淵源は、多くが京都です。

一昨年オープンした京都国際マンガミュージアムは、日本のマンガ文化が世界に急速に受け入れられていることを多くの人々に知れせてくれています。「オタク」「カワイイ」は国際語だとか。

日本を含め、世界の多くの人々はフランスを文化の大国と認識しているでしょう。そして、みんな芸術の都パリに憧れていますよね。日本もこの方向でいったらどうでしょうか。

歴史をひもとくと、日本人は激動期においても、逞しく生き抜いていました。維新期も文明開化のうねりに埋没することなく近代国家に変貌しましたし、敗戦に直面しても民主主義を受け入れて、平和憲法を守ってきました。

私はこれらの要因について、勤勉で勉強熱心な国民性ときめ細かな地域コミュニティーが、大きな力になったのだと確信する1人です。(これら日本人の美徳が薄れつつある危機感は誰もが抱いていることでしょうが、この問題については別の機会に論じたいと思っています・・・・・)

私は思います。経済が冷え込み政治不信が定着し、ある意味どん底にあえいでいる日本は、今こそ文化の力で立ち上がるべきであると。

そして、同時に訴えたい。その団結の要は、環境が破壊され危機に直面する地球を守らなければならないという、強い一体感ではないかということを。

昨年、ドイツのメルケル首相が来日して、「DO YOU KYOTO?」という言葉が、「地球に良いことしてますか?」という意味で使われていると紹介されました。地球温暖化への世界規模の取り組みの、まさに象徴が私たちの住む京都なのです。

文化芸術の都を志す京都が、環境立国へのエンジン的存在となって、日本の進むべき道を切り開いていく使命があると、私は心の底から叫ぶものです。

自分さえ良かったらいいというエゴイズムや、カネ儲け最優先の拝金主義がまかりとおている日本を再生するには、志を高く持つしかありません。


京都市政に携わる1人として、誇りと責任感に身を引き締めながら、真剣に頑張っていくしかないと決意しています。
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